


「AB間に相関関係がある」から「Aを変えるとBが変わる」に至るには、少なくとも5つの問をクリアーする必要がある。
第1の問は《理に適っているか》である。統計的に有意な相関があっても無関係である場合は珍しくない。インターネットで見つけた面白い例として、みかんの消費量と風邪の患者数がある。みかんを食べると風邪になる、あるいは、風邪になるとみかんを食べるというのはありそうにない。ただし、もし両者間に納得のいく繋がりを見つけ出せれば価値ある発見となろう。
第2の問は《同一原因の2つの結果ではないか》である。AとBは同一原因Cの2つの結果ではないか。具体例としては、毛髪量と顔の皺は相関関係(逆相関)にあるが、両者はともに加齢の結果である。同一原因の2つの結果である場合には、Aを変えてもBは変わらないはずである。すなわち、毛生え薬が効いて毛髪量が戻っても顔の皺はそのままだろう。また、相関関係にあるAとBが同一原因の結果である場合、AとBが起きる時間的順序は二通り考えられるから、例えばAの後でBが起こったからといって、AをBの原因としてはならない。すなわち、毛髪量の減少が先行したとしてもそれは顔の皺の増加の原因ではない。
第3の問は《どちらが原因か》である。Aが原因でBが結果なのか、Bが原因でAが結果なのか、両者がともに原因でありかつ結果でもあるのか。
平成不況の後半期には、「不良債権が景気低迷の原因である」という説と「景気低迷が不良債権の原因である」という説が対立した。前者は、銀行部門における巨額の不良債権の存在による「貸し渋り」が景気低迷の原因であるから不良債権処理をまず行うべきだと主張した。これに対して後者は、不良債権は需要不足に基づく経済不調の結果であるから景気回復を優先させるべきだという見解であった。もちろん問題はどちらが正しいかではなく、基本的な因果関係はどちらかであった。
時の政府は不良債権処理優先論であったが、筆者は当時も今も景気回復優先論が正しかったと考えている。リチャード・クーは「邦銀の問題が景気のボトルネックであれば、貸出金利は上がり、外銀のシェアも伸び、社債市場は活況を呈していなければならないのに、現実には全く逆のことが起こっていた」ことをデータで示し、不良債権問題が不況の最大原因ではなかったことを明解に述べている(『「陰」と「陽」の経済学』<東洋経済 2007>p. 7〜13)。また、不況からの回復が、企業部門における「3つの過剰」の解消という状況下で外需によって牽引されたことは今日では広く認められている。
第4の問は《もっと重要な要因はないか》である。「AがBの原因である」として、次に自問すべきは「Aよりももっと有力な原因Dがあるのではないか」である。事例を2つ挙げよう。
一つは、価格と需要量の関係である。「他の事情に変化のない限り、価格の上昇につれて需要量は減少し、価格の下落につれて増加する」。なるほどそうだ。しかし、「他の事情に変化のない限り」という言葉が曲者である。価格よりずっと重要な要因があるかもしれない。この命題は、価格以外の要因については何も言っていないし、価格が最も重要な要因であるとも言っていない。しかし、うっかりすると、需要量の最大の決定要因は価格であると受け取ってしまう虞がある。恐ろしく無内容な命題であり、適用範囲が広い。この場合は、適用範囲と内容が逆相関している。
もう一つの事例は、利子率と投資の関係である。「利子率が上がれば投資は減少し、下げれば増加する」あるいは「投資は利子率の減少関数である」。もちろんこの場合も「他の事情に変化のない限り」である。
投資の最も重要な決定要因は利子率と予想利潤率(資本の限界効率)であると説かれるが、平成不況期の低金利政策は投資を喚起しなかった。当然である。長期不況期にあって、あなたがある企業の投資を決定する立場にあるとする。バブル期に設備投資と採用を積極的に行ったため、設備と雇用は過剰である。設備投資資金の多くを借り入れに頼ったため、大きな負債を抱えている。このような状況の中で、金利がゼロ近くにまで下がったからといって、あなたは新たに設備投資を行うだろうか。ノーであろう。デフレで実質利子率が高かったからだという主張があるが、デフレを考慮した実質利子率も大して高くなかった。
ついでに言えば、低金利政策が企業の金利負担を軽減したのは事実であるが、その分、家計の利子所得が減少し、消費低迷の一因となった。全体としての効果がプラスであったか、マイナスであったかは明らかではない。
要するに、深刻な不況期には金利よりも予想利潤率のほうが重要である。現実感覚に富むケインズは72年前に次のように述べている。「不況がまったく手に負えないものになるのは、実はこのためである。後になれば、利子率の低下が回復にとって大きな助けとなるであろうし、おそらくそのための必要条件であろう。しかし、しばらくの間は、資本の限界効率の崩壊が致命的であって、利子率をできるかぎりどんなに引き下げてみても十分ではないであろう。もし利子率の引下げがそれだけで有効な救済策になりうるとすれば、回復の達成は、あまり長い期間がたたないうちに、多かれ少なかれ貨幣当局が直接用いることのできる手段によって可能になるであろう。しかし、実際のところ、普通はそうはいかず、資本の限界効率が産業界における制御できない強情な心理によって決定されている以上、それを回復させることはけっして容易ではない。個人主義的資本主義の経済においてきわめて制御しにくいものは、日常的な言葉で言えば、確信の回復である。不況のもつこのような側面は、銀行家や実業家によっては正しく強調されているが、『純貨幣的』救済策に信をおく経済学者にとっては過小評価されている」(『雇用・利子および貨幣の一般理論』<東洋経済 1995>p.316〜317))。
第5の問は《状況によって変わらないか》である。上述の利子率と投資の事例から汲み取るべき今ひとつの教訓は、状況によって「有力な原因」は変わり得るということである。すなわち、ある状況の下ではAよりもDが重要だが、別の状況の下ではDよりもAが重要であり得る。具体的に述べれば、投資機会が豊富で膨張への内圧が高い状況においては利下げは有効であるに違いない。現実は複雑であり、公式の安易な適用は危険である。シュンペーターは弟子によく「おもちゃの豆鉄砲をもって実戦の塹壕に入るな」といったという(出所失念)。
「相関」に乗せられないためには、《理に適っているか》、《同一原因の2つの結果ではないか》、《どちらが原因か》、《もっと重要な要因はないか》、《状況によって変わらないか》という少なくとも5つの自問が必要である。統計的手続きが代わりに判断してくれるわけではない。
2008.06.13